建築家 交久瀬 常浩
特別編 | 建築家の事務所訪問
特別編 | 建築家の事務所訪問
それはTVコマーシャルでした。♪ダバダーのCMをご存知でしょうか。
ネスカフェの「違いがわかる男」シリーズ。そこに登場した建築家・清家 清氏を見て、建築家という職業に憧れを抱いたそうです。
そして大阪万博。小学校二年生だった交久瀬氏は、菊井たちと共に何度も大阪万博を訪れ、様々な建物に感動し、そんな建物の絵ばかり描いていたそうです。
その少年の頃の憧れそのままに、建築家としての道を進まれました。
大学にて建築を学び、ヘキサという事務所に勤めることになった交久瀬氏。
ヘキサといえば、日本でコーポラティブハウスをつくったさきがけとして有名な事務所です。
当時働くだけの街だった大阪市内をヒトが住む街にしようという想いで、「都住創」と名付けた数多くの集合住宅を建てていきました。
そこで設計を学んだ交久瀬氏。当時は本当に大変だった!とおっしゃっていました。
ヘキサの活動は、文化人にも愛され、たくさんの有名人が居住されていたそうです。
個性豊かな住人の様々な想いを聞いて、それを集めた集合住宅を設計するのですから、
その過程はそれはそれは濃いものであっただろうと想像できます。
ヘキサはその後東京にも進出し、若き日の建築家・隈 研吾氏も設計に当たったそうですよ。
ヘキサで様々な住まいに携わった後、独立。
以来、大阪の事務所と自宅にて設計活動を続けておられます。
さてこの交久瀬邸には、ものがたりが…。
交久瀬氏と言えば、並々ならぬ建築知識の持ち主です。
IFAでは毎年、日本そして海外の名建築を見て学ぶ「建築研究会」を続けていますが、それも交久瀬氏のプロデュースがあるからこそ。
どこにどんな素晴らしい建築が存在するのか、その背景等、
本当に知識量が半端ない!のです。
さて、その交久瀬氏が枚方にあるはずの建物を探していました。
それが、なんと今の交久瀬邸。
建築家・石井修氏の設計による「山名さんの家」と名付けられた作品でした。
売りに出ていた当時、それは廃墟に近い状態だったといいます。
そして購入を検討していたのは、菊井でした。
購入を相談された交久瀬氏は、「それはこの作品や!」と石井修氏の作品集を取り出しました。
いつもは物静かな交久瀬氏ですが、その時は大興奮だったそうですよ。
こんな流れで、間違いなく解体されていただろうこの有名建築家設計のお住まいは、
交久瀬氏の自邸として新たな歴史を刻むことになったのです。
こうして交久瀬邸となった建物は、その時点で築40年。
1960年代の日本のモダン建築のすばらしさを実感できるお住まいです。
憧れの建築家の設計したものだからと、極力元の建築を活かしながら、
そこに交久瀬氏のエッセンスを加えて、リノベーションされました。
今回はじめて訪問が実現したのですが、
さらに時を重ね、本当に深い魅力があふれる空間でした。
寒さやメンテナンスなど住みこなすには苦労も多いそうですが、愛情をもって住まれているのが伝わってきます。
たくさんの本やCD、様々なディスプレイとお庭の緑が本当に心地いい空間でした。
「気持ちの良い」住宅を目指して。
大量生産のモノや情報があふれる現代でも、ヒトとして率直な要求であり、昔から変わらない本質的なことが
「気持ちの良さ」だと思います。
木々の緑、草花、空、雲、一日の移ろい、天候、春夏秋冬、
共に古びていくモノ…あらゆる事象と対峙し、
住まい手の「気持ちの良さ」を紐解きカタチにしていけたら…
日々、そんな思いで住宅をつくっています。
これはIFAの建築家紹介に寄せて、交久瀬氏から頂戴したメッセージです。
そんな交久瀬先生は、IFAでも数々のお住まいを設計されています。
どの建築も、隅々の空間、素材、光…までこだわったお住まいです。
今回交久瀬邸にお邪魔して、その作品に色濃く通じる心地よさを実感するとともに、
「いつまでも愛着の持てる住まい」の価値を改めて感じることができました。
今もいくつもの物件を並行して進行中の交久瀬先生。貴重なお時間をありがとうございました!